長沼町の伝説 -076/224page

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とってつけられたと伝えられる。

 また近くに人喰坂という場所があり、頼房公が通りかかった時、何十ぴきものオオカミに出あい大変 こまりはててしまった。その時、滝村に小田桐新左義照という豪猛な人があり、オオカミを退治したと いう。これが認められ、水戸様の家臣になったと伝えられる。

 この小田桐新左義照の弟に義明なる者がいたが、滝村に残り、代々勝右衛門を名のり続いている。小 田桐家は水戸に墓があるという、鈴木家の先祖だと伝えられる。

        (話者 鈴木 明)

正月に小豆を食べない内山家 《小中》

 小中の内山家一族は、正月に門松のあるうちは、あづきを火にかけることはしない。

 由来に、昔、小中館主内山伊勢守は正月のあづきを煮ている時、伊達政宗に攻めこまれたが、その時、 内山一族は赤飯を食べずにかくれ住み、助かった。

 それから小中内山家一族は門松のあるうちはあづきを食べない。今でも、正月にはキナコ餅かイゴマ 餅を食べて正月を祝う。

        (話者 内山正雄)


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