長沼町の伝説 -077/224page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

八木沼家と関所の由来 《小中》

 昔、八幡太郎義家が蝦夷征伐に来て、この地方を平定して 関所を設けたといわれる。

 旧小中街道で、白川方面からは上松本(天栄村)戸ノ内を経 て平藤内、北ノ沢を出て、関所の所に来た。矢吹よりは矢田 野、久保之内、志茂小中を経て関所を通り、長沼に出た。

 この関所の最後の関守は、八木沼家の先祖嘉門という人だ といわれている。姓は米沼ともいわれる。また百姓になった ので、米は沼に作るので、米沼で、米という字をくづして八 木沼になったともいわれる。麦久内の地に居を移して、一族 六軒になった時があるという。

 安政五年正月の火災で、旧記、家宝を多く失った。関所の あった所を今でも関畑と呼び、その地帯を関之入という字名 で呼んでいる。

        (話者 八木沼勝美)

小中 関畑
小中 関畑


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は長沼町教育委員会に帰属します。
長沼町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。