長沼町の伝説 -078/224page
菅野稲荷の由来 《志茂》
菅野家の宅地内には、稲荷大明神、菅原天満宮の二神の氏神様が祭られてある。昔、菅野家の先祖は 白河領の家臣であったが、武士を捨て、当地の庄屋となった。
日頃は平穏な村であったが、ある年、冷害による大飢饉が襲ったという。村人は食う物もなく、その 上、高い年貢米の取り立てによって大騒ぎとなった。
これを見かねた庄屋 右ヱ門は、城主と数度の話合もつかず、ついに断念して、江戸幕府に訴状を手 にして出向した。二ケ月間の論争となったが、遂に大勝利と なった。そのとき、菅野家の棟上に白狐が現れて、大声で三 声「コンコン」と鳴いたという。
白狐とは白い猫子のような姿で、稲荷様のお使姫である。 勝利を氏神が知らせた鳴声であった。菅野家は庄屋を辞した 後も権威に屈せず、厳格な地主であった。長沼の神官磐瀬公 は当時飛ぶ鳥落とす勢いであったが、門前で必ず下馬して入 ったという。
氏神様には、丸い石数十個が奉納されており、イボ取り神 様として知られている。子どもたちが手や足に石イボができ