長沼町の伝説 -085/224page
煩悩の大数珠と供養塔は何かを語りかけている。
供養塔は、「南無阿弥陀仏、求願、横に元禄二年巳卯十月吉日、念仏講中」と刻まれている。
(話者 江連 栄)
六部塚の由来 《小中》
小中の志茂より南に通ずる坂のあたりを、六部塚と呼んでいる。
その昔、内山家の先祖五左衛門という人は幼少から信仰心厚く、前じて法華経を写し六十六ケ国の寺 に一部ずつ納めるため回國僧となった。やがてその任務も終り錫杖をつきながら生まれ故郷にと急いだ。
坂の上まで来てわが生家を見て、やれやれと安心したのか倒れてしまってそのまま息絶えたといわれる。 いまその場所に墓石が建っている。その銘は次のように刻まれている。
礼奉供養大乗妙典六十六部
行者内山五左衛門孝寿
陸奥国磐瀬郡下小中邑
法名 回山順国居士
享保十五庚戍行者五左衛門の背負ったという笈が、いまも内山家 に所蔵されている。