長沼町の伝説 -086/224page
また少し離れた所の道路側に、もう一つの石碑がある。それも六部の墓だといわれている。
礼奉納大乗妙典日本回国
宝暦十一巳午白川領下小中邑
三月初九日 行者 常正
白雲道光信士 十二月廿五日
秋月道喜信士 十月 四日下部は土に埋もれているが、下佐国とかすかに読まれる。村はずれにあり、六部や行者の 墓が建てられてあるので六部塚の名が付けられたのであろう。
(話者 内山正雄)
天平の古碑 《古館》
桙衝の字ほうぜん坊、(古館屋敷の西)の岡部墓地に 古い碑がある。天平九年丁祀と読まれる。あまり古い 碑なので、研究者の大部分は偽作だといっている。
「前々太平記」は次のように記している。
聖武天皇の天平七年に、筑紫の国より庖蒼が入り、 八年には、京都附近が大流行となって、上は公郷より