長沼町の伝説 -087/224page

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庶民に至るまで沢山の人が死んだ。当時、庖蒼は、我国ではまったく知識がなかった。この不思議な病 気平癒のために、諸国の神社、仏閣に奉弊使を立てて祈願した。

 当桙衝神社は、延喜式の古社であるし、別当、長楽寺は真言宗なので、祈祷は専門的であったので、 ここにも勅使が来て、祈願した事は当然と思われる。この時の記念碑であろう。

        (「桙衝村誌考」より)

円満寺の経塚 《矢田野》

 矢田野に円真という学識高い、其言宗の修行僧がいた。住 民はもちろん武家に至る多くの人々が帰依した。やがて矢田 野阿波守為治公の信任厚くついに城主の秘仏である木像の正 観世音菩薩を本尊とした福聚山円満寺を城門に開基、僧円真 を迎え入れ、開山第一世として、しかも祈願寺と定められた。

 これより住民の帰依信仰もますます深く、厚く信心の力を 結集して寫經を発願したので、老いも若きも、毎日、江花川 畔に行って小石を集め来て、大日經と法華經八巻の経文の一 字ずつ一石にそれぞれ各自に浄書して、寺門に一字一石の塔

円満寺跡(矢田野)
円満寺跡(矢田野)


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