長沼町の伝説 -092/224page
嘉永五年一月二十八日吉田松陰も、会津に行く途中泊まったという。
明治の廃仏で寺は無住となった。(その後)、旧寺院は、石背小学校、勢至堂分校となった。昭和にな って、寺跡に、勢至堂小学校が新築された。この時、光風堂の参道の大きな杉並木を切ってしまった。
いまは光風堂と馬頭観音堂だけが、昔日の面影を残している。
(話者 石井政司)
安養寺 《上江花》
安養寺は江花字屋敷(上江花)にある。天台宗比叡山派に属し て、もと寺山にあったという。寺山の開山は光栄上人である。
その後、江花屋敷の裏山、五庵という所に移り、後奈良天皇 の御代、天文十七年旧二月十五日に、現在の地に移ったといわ れる。開山は秀了僧正、大壇那は藤原朝臣と伝えられる。石護 山華蔵院安養寺という。もとは須賀川妙林寺の末寺だった。
本尊は阿弥陀如来だが、明治の廃仏毀釈でひどく迫害を受け て、本尊も被害をこうむった。
今の本尊は正観音で当住は三十五代という。
(話者 岩崎松海)