長沼町の伝説 -096/224page
延暦年間、坂上田村麿将軍が、当社に戦捷祈願して、靈験があった。のち、戸上神社となった。文応 年間、長沼隆時、この山に城を築く時、豊町、戸隠大明神の社の地に遷したという。
諏訪神社は天文年間、会津の領主芦名氏の家臣、新国氏が長沼領主となった時、信州信濃より諏訪大 明神の分身を遷して一城の乾に神社を建てゝ建美名方命を祀って城の守りとし、諏訪大明神と称した。
一説には、慶長年間、会津領主上杉氏の家臣、島津泰忠が 信濃国より諏訪大明神を遷したともいう。長沼城破却のさい、 社が荒れたので村人神靈を国造戸上神社に遷し、相殿とした。 旧地を今も諏訪の人と呼んでいる。
元祿元年、社殿炎上したが、代官柘植伝兵衛が再建した。 元祿十三年、松平頼隆の領地となり、代々の領主弊帛を奉奠 した。
明治五年、郷社に昇格、八年に村社となったが、十二年、 再び郷社となった。明治二十年、長沼大火に炎上、再建して、 現在に至った。
(「長沼名義考」より)