長沼町の伝説 -102/224page
洞昌寺を今の地に移したが、昭和初期、寺号、郡山に移り廃寺となった。新国平三郎の墓といわれる大 きな五輪塔が、今も洞昌寺の墓地に残っている。
天神山の「カロウド」の五輪は、鎌倉時代のもので、別人の墓という説がある。
(「長沼名義考」より)
一本木神社 《長沼》
一本木神社は、郷社石背国造神社の北の方にあった。長沼城築城の頃、すでに大きな一本の木があっ て、社があった。それで一本木神社と呼んでいたが、庭渡神社であったという。
この神は病気平癒を祈ると、靈験があった。祭日は三月二十八日、四月朔日で、この神に祈る時は、 鶏あるいは蛇の形を画いて納め、餅を供えて祈れば、いかなる病いも治ったという。
赤児の夜泣きも、願をかければ泣きやんだという。子どもが丈夫に育つよう、後産も埋めたといわれ る。このように庶民の生活に密着していたので、遠近の村人たちの信仰が篤かった。
明治八年、官命によって、御神体、祠共に郷社に遷した。いまはその跡方もなく、村人の語り草とな っている。
(「長沼名義考」より)