長沼町の伝説 -103/224page

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西福寺と浄性庵 《長沼》

 那智山福聚院西福寺、一説には、智門山正蓮院ともいう。桙衝長楽寺の末寺であった。信濃町の北西 の地にあった。本尊は金剛、昭蔵界、両部大日如来で、開山は、社真僧都、開基は阿蘇沼庄司、戸上平 十郎、法名、福聚院殿で、年代は不明である。

 のちにこの寺の跡に、浄性庵が建てられた。本尊は地蔵菩薩、脇仏、十九夜如意輪観音であった。

岩瀬地蔵尊札所第四番で、

  いそげ人ちかひのふねに長沼の
    浄性庵ののりのともしび

の歌が残されている。

 旧長沼瀬戸焼窯跡に、今も石碑が二、三基残っていて、わずかにその面影をとどめている。

        (「長沼名義者」より)

正行寺 《長沼》

 念仏堂鞍見山正行寺は、浄土宗芝増上寺の末寺で、信濃町の北西の地、西福寺の西続にあったという。

 この寺は、長沼城隆盛の時、殿の側室、阿梅の方が手打ちになり、その怨靈が幽となってさまよっ


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