長沼町の伝説 -104/224page

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て、仇をなすので、呑用和尚が阿梅供養のために、観音菩 薩を本尊として、一寺を建立したという。

 のちに中絶したのを求願和尚が再建して、花畑の阿梅塚 に阿弥陀仏の供養塔を建てた。求願和尚は寛文年間、下野 国飯根村、求教寺の住憎だったが、仏法弘道のために、会 津に杖を進め、一宇を建て、これより当郡滝村に来て、一 庵を建てて留まる。

 その後、長沼に移り、観音堂の傍に寺を建てた。これが正行寺であった。本尊は阿弥陀如来である。 今は寺の跡形もなく阿弥陀仏の供養塔が、旧道の傍に草に埋もれてある。

        (「長沼名義考」より)

求願が阿梅のために建立した供養塔(長沼)
求願が阿梅のために建立した供養塔(長沼)

西光寺と薬師堂 《長沼》

 醫王山瑙璃院西光寺は真言宗桙衝長楽寺の末寺で、大養寺の北西、豊町の南西の地にあったといわれる。

 本尊は薬師瑙璃光如来石仏立像で、開基は徳一の弟子、舜応といわれるが、年代は不明である。東方 の地に薬師堂があった。石仏だが、秘仏なので一度も開帳したことがないといわれた。

 籔の中に、六尺から四尺ほどの石があって、俗に化石といった。夜な夜なこの石は歩き出すので、そ の名が付けられたという。


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