長沼町の伝説 -108/224page
八幡神社と廃寺 《志茂》
志茂日向の八幡神社は、応神天皇を祭神として、武神の神として世に知られている。境内には、五・ 六百年を経たと思われる老杉、数十本が空高く聳えている。この神社はその昔、憎行基が東北下向の折 に、この地に、八幡大菩薩を勧請して祀ったのに始まるといわれている。
祭礼は旧八月十五日、満月の日であった。この神社の催し ものは、例年、大花角力で、近郷近在の多数の若者が集まり、 力と業を競い合い、盛大な祭であった。
村には、沢山竹林が繁茂し、直径二十センチ位の大竹(唐 竹)が数多く生えていたので、角力の名は、「大竹」と名乗って いたのである。
花火もまた有名であった。村には若組があって、十五歳よ り二十五歳までの、長男に限定され、祭日の一ケ月前になる と、若組一同出場して、花火造りに取組み、桐の炭や硫黄を ヤゲンという器ですりつぶして、調合して作った。当時を物 語るように二五センチほどの桶筒に、たがの幾つかかけた筒 が今も残っている。