長沼町の伝説 -111/224page

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神稲荷 《志茂》

 志茂の東の端の山頂にある稲荷様である。ここはかって城が あった所で、当時は城の守りの稲荷様と呼ばれ、木戸の所は、 今でも大門と呼称している。

 いつ頃の城か、何という殿様がいたのか、誰も分かっていな い。今も小さい石の祠が建てられている。これは、天明年間の 飢饉の年に、村人が五穀豊穣を祈って、建てたもので、今なお 村人は御参りをかかさない。

        (話者 井跡忠兵衛)

神稲荷
神稲荷

三嶽神社と白藤 《小中》

 三嶽神社は小中、上(古くは上小中村)の鎮守様である。

 豊臣家の家臣であった小泉權之守は、大阪落城の際に、東北地方に落ち延びて、元和八年、御宅の地 に稲荷様を祀って、村神主となって代々住んだという。後に、村人のすゝめによって、元祿十年、七郎 内の地に移って、小中村の一部を分けて、一村をなし、上小中村と称した。


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