長沼町の伝説 -121/224page
そのままになってしまった。
雷神様の威力か、卯之助爺様の機智か、今も雷神山は昔のまゝ鎮座している。終戦前まで(昭和二十 年)旱魃の時、若者たちがよくお籠りしたものである。
(話者 円谷 嘉一・円谷 実)
桙衝神社 《宮本》
昔、日本武尊東征の時、柊木の八尋の桙を、亀居山頂上にある天然の立石を祭場として立て、武壅槌 神を祭り、蝦夷平定の祈願をしたところから、桙衝の地名が起こったといわれる。
この山は亀居山と呼ばれている。古代の信仰思想は、高い山、高い木、大きな岩に神が宿る所とされ ていたので、ここの要石に神が宿り、神居山といって信仰されたものが、長い間に言葉が訛って、亀居 山となったものであろう。また全山亀の形に似ているので、その名があるともいわれている。
人皇五十二代嗟哦天皇、弘仁十二年卯午七月十日、弘法大師が当村に来て、亀居山の麓に一寺を起こ した。
丑寅の方向に、夜な夜な怪しい光が輝き、さながら日光の如く見えた。村人は驚いて、大師にこのこ とを告げた。大師が近ずいて見たところ、ただ塚があるだけで、別に何物も見えない。
大師は塚下で二日三晩の修念の祈祷をしたところ、不思議な怪火が止まり、勿然として御鉾が塚から出