長沼町の伝説 -136/224page
偉業に関するもの
会津軍の砦 《勢至堂》
徳川三百年の体制が崩れ、賊軍の汚名を一身に背負って、 会津藩は孤立する状態となった。各峠に陣地をつくり、西軍 の攻撃に備えた。勢至堂峠は主力攻撃を予想して、五郎山の 沢に砦を築いて、沢山の武士が駐屯して防備体制を整えた。
西軍は戦いになると、奇襲攻撃を計り、石莚口を攻めたの で、勢至堂陣地は必要なくなってしまった。他の陣地に引上 げる時、備え付の大砲を打ったところ、一里壇までしか届か なかったといわれた。
五郎山の陣地より一里壇までは約十丁程の距離なので、そ の当時の大砲はいかに幼稚であったかがわかる。草木茂る中 に、幾星箱を径て砦の跡が残っている。
(話者 柏木平蔵)