長沼町の伝説 -139/224page

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    阿曽沼の真菰隠の前の世も
      忘れて法に澄める月影

 僧は、この歌を見て、宵の夢が本当であることに驚き、おしどりの願い通りに、長沼より二里南の女 神山の麓に、一寺を建てて、風徳山鴛鴦院安養寺と号した。

 法燈国師、三光国師と来て大法会を行った。その僧の徳を慕って、人々が集って一村を成して、安養 寺新田となった。村人、今も尊敬し、安養寺国師と称する。

 おしどりの靈を南北の嶺に祀り北は男神山、南は女神山といった。今は男神山は妙見山、女神山は明 神山と呼んでいる。安養寺は廃れたが、村端の御堂に、法燈国師自作の像が安置されている。一説には 一角が法燈国師だともいう。

 一角がおしどりを射て、発心の地、長沼は次第に埋まり、今は田地となっているが、長沼町と志茂の 間に、その面影を残す小さな沼があり、柳が生えている。この沼の水は旱魃の時、農夫たちが水引喧嘩 をするので、喧嘩柳と呼んでいる。沼のほとりは、昔神社があったので、沼の御前ともいう。

 一角が、発心供養に建てた五角の石は、六角石と呼び今も残っている。

        (「長沼名義考」より)


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