長沼町の伝説 -141/224page
鳥類でも、このように愛情に富み、憐み深いものを、命を取って、業とするわが身は、いかにあさま しきことよと、野刀で髪を切り、鴛鴦と共に家の傍に埋め、自ら安養道心と改め、鴛鴦を射た弓を杖と して、西海を航して大元に渡り、無門禅師の弟子となった。
道を極め、後醍醐天皇の御代、禅師を伴い帰朝して、その旨奏聞に及び、勅許され、紀州に由良興國 寺を建立して、無門禅師を居住させた。この頃、道心も法中の学頭だったので、しばしば参内して叡慮 にかない、ついに法燈國師の称号を賜った。
のち奥州南部に下り、一寺を建立し、大光山聖寿寺という。三戸郡に寺領五百石を賜った。国師は、 後世、わが影を残さんと、日本国中を廻り信濃、大和に一体ずつ肖像を刻み置いた。さらにわが発心の 開壇なればと、岩瀬郡に一寺を建立し、風徳山安養寺と号し、自ら彫刻した如意輪觀音を本尊とした。
今も天栄村安養寺には、法燈国師の像が祀られている。
(「岩瀬郡誌」より)
長沼古舘 《長沼》
長沼より江花に向う道路の北側に館跡がある。北古館と呼んでいて、二つに分かれて大きい方は入古 館、小さい方は出戸古館と呼んでいる。さらに西に行って、道路の南にも舘があり、南古館と呼んでい る。