長沼町の伝説 -142/224page
南古館は、昔、石背国造家の子孫、岩瀬郡司の居館といわれる。桓武天皇七代の孫、余吾将軍、平維 茂が奥州征伐の時、当館に宿泊、磐瀬富雄の娘に一子を設けられたという。長じて、平維忠となり、北 古館に舘を築いて居住した。江花の大和山定満寺を舘の北の山に移して、永興院と号したという。
別説によれば、北古館は、結城系、長沼五郎宗政より五代の孫、淡路守宗秀が下野国より移り、五代 居住したといわれる。
芦名氏の時代になり、北舘は中館、南館は西舘と呼んで、長沼城の家臣が住んでいたという。
(「長沼名義考」「長沼城主考」より)