長沼町の伝説 -145/224page
加藤嘉明時代は、長沼城代、青木右ヱ門秀昌。
寛永十四年、一国一城制によって、仙道の城舘残らず破却となる。波乱多い長沼城もこの時破却とな った。
(「長沼名義考」・「長沼城主考」・「江原郷藤沢長沼古館の辯」より)
吉田松陰と勢至堂宿
勤王の志士で幕末の思想家として有名な吉田松陰(通称寅 次郎)が、江戸亡命中、勢至堂に宿泊している。
このことは、松陰の書いた、水戸より勿来に、勿来より、 白河を経て若松に至り、江戸帰還までの遊日記である 『東北 遊日記抄』に記されている。
日記は嘉永四年十月江戸を出発し、同五年四月江戸にもど った約五ケ月間のもので、宮部鼎蔵が同行した。
勢至堂には、嘉永五年一月二十八日に投宿し翌二十九日会 津に向け出発している。
二十八日午前白河をたって、飯豊で昼食をとり、牧ノ内、 長沼を通り、勢至堂に至る道程を記している。この日は朝は