長沼町の伝説 -149/224page

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字である。

 この人は越後新発田藩の家老の息子で、若い時、女 性関係で相手方を切り、主家を退散して浪々の身とな ったという。女というのは妻の由伊であろう。若い男 女は、江花の継立所(問屋のような仕事をした)に逗留 した。

 継立所の主人賢治(私の祖父)は、義侠心に富んで、 多くの人の世話をするのが好きで、二人の話を聴いて 二人を江花に住まわせた。新之助は村人に学問や手習いを教え、妻由伊は娘たちにお針(裁縫)や行儀作 法などを教えて暮した。私の父、荘作(後県会議員)もこの人に学問を習って成長した。

 由伊は長生きして、越後婆様と呼ばれ、村人から親しまれた。二人の間には、子どもはなく、子孫は 残っていない。妻、由伊の一族の亀井美也鉄と言う人が墓碑を建てた。

        (話者 森岡賢作)

築都新之助の墓
築都新之助の墓

後藤新平の少年時代

 大正時代の政治家、後藤新平は、時の内務大臣に任ぜられ、関東大震災の直後は、東京市長として、


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