長沼町の伝説 -153/224page
のため、当地方に来たともいわれる。またこの陣場は南北朝の折、畠山氏が長沼城を攻める時、陣した とも、伊達政宗が長沼城攻撃の折、ここに陣したともいわれる。
大正の初め上小中に火事があった。その時、村の女の人たちが「神おろし」をしたところ、元の御宅山 の社に帰りたいという稲荷様のお告げがあり、大正十五年石の祠を立てて祀った。
(話者 鈴木一郎)
白方郷の由来 《滝》
滝字石妻の石沼八幡神社の前方にあたる一帯を白潟の跡とい う。現況は全域水田となっているが、成務天皇の御代に、建美 依米命初めてこの地に来たとき、白色の水をたたえた沼をみて 命の出身地の河内国の白肩の津に似ていたので、白潟と名づけ られたのがもとで、白方郷の地名が生まれるようになったと伝 えられている。
(「岩瀬村郷土誌」)