長沼町の伝説 -155/224page

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墓石が建っている。滝部落の人々は、この墓石を九の坊さまと呼んで彼岸、お盆には、部落の人々が焼 香やぼたもちを上げて供養している。

 当主の鈴木昭一氏宅は、たびたびの村の大火にも災禍にあわず、旅僧や旅人をとめたという部屋が現 在も残っている。

        (話者 小針 平)

桜堂、行認塚の由来 《志茂》

 今より三百年前の正保年間の頃、一本の山桜の老木があり、 当時の人が、その桜の木の側に、二間に三間の御堂を建て、旅 僧の宿となしていた。

 その後、時代が遷り変り、村の人も誰も見守る人もなく、桜 の木は枯れ、御堂も立腐れとなって絶えてしまった。一説によ ると、その昔、僧行墓の弟子、行認が住んでいた所ともいわれ、 行認壇、行認塚ともいわれる。

 いまは、桜堂、行認塚という地名が残っているだけである。

        (話者 小林喜義)

桜堂行認塚
桜堂行認塚


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