長沼町の伝説 -158/224page

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喜惣神社由来 《宮本》

 梓衝神社の境内に、喜惣神社がある。文化年間の頃、全国的に凶作が続いていた。梓衝村も、不作で 因っていたが、時の庄屋の年貢の取り立ては厳しかった。

 村人たちは、過酷なので因ってしまった。この有さまを見た時の組頭、森藤喜兵衛、斉藤惣兵衛の両 名が、この窮状を白河の殿様に直訴したという。

 この頃は直訴は違法で、引き立てられて打首の刑に決まった。時の長楽寺の住職がこれを聞き、歎願 した。長楽寺は禁裏に仕える長橋の御局殿の祈願所となっていた由緒ある寺であったが、時すでに遅く、 処刑されてしまった。一方、庄屋は、西白河郡五箇村に所替えされたという。

 この二人の遺言で、庄屋様を睨み潰しにするんだと 池下山の中腹に庄屋様を睨むように地蔵様が建てられ た。二人の靈を村人たちは神に祀った。由来を記した 巻物は神社に納めてあったという。時移り睨み地蔵も 今はない。二人の義民の墓といわれているのか、森藤、 斉藤両墓地の奥に建てられてある。

    刷霜道垢信士
    義光瑞用信士

喜兵衛、惣兵衛の墓石
喜兵衛、惣兵衛の墓石


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