長沼町の伝説 -160/224page
矢田野城 《矢田野》
永禄年間、須賀川城主、二階堂遠江守為氏の三男、二階堂 阿波守藤原為房が城を築いたといわれる。一説には、出雲守 ともいう。矢田野の地名を名乗り、代々矢田野氏と称した。
二階堂家は藤原鎌足の後裔で、白尾三郎と称して、京都二 階堂に住した。源頼朝の鎌倉幕府に大江広元、三善康信らと ともに文官として仕えた。
天正十六年七月、郡山久保田の戦いに、伊達政宗の身代り となった伊藤肥前守を打ち取ったのは、城主矢田野義政であ るといわれる。
後、伊達政宗軍の攻略にあって、その軍門に下り、城は破 却されたという。矢田野十勇士、大河原、本賊、小林、五十 嵐、境田、円谷、鈴木、松川、川田、須釜、らの家臣も農に帰えったという。
城の中心地を藤原と呼び、藤原稲荷神社があった。御神体は狐に乗る本像であったという。祭礼は九 月十日、後に、磐女神社に合祀したが近年、昔の社の跡に石の祠を造り遷宮した。
矢田野屋敷の中に当時の堀跡が残されていて。昔の面影が偲ばれる。
(「桙衝村誌考」「白河風土記」より)