長沼町の伝説 -161/224page
堀切と堀切稲荷社 《堀込》
江戸時代の末頃、堀込字掘切地内に、昼夜狐が出没し、村人 たちを困らせていた。
そのため、堀込部落の小林峯三郎、広田半次らが中心となっ て、堀切二十八番地に建立したのが堀切稲荷神社である。当時、 このあたりは相当な森林地帯で、稲荷様のところには、三本の 松の大木があった。
祭礼は、部落のお年寄りたちによって、三月十日に行なわれ ていたが、今は八月一日に行なわれる。
戦時中、出征兵士の武運の長久を祈り、出征兵士も必らずお 参りしてから戦地へ向かった。
掘切の地名は、その昔、早魃の年に、木之崎村と横田村の住 人が、江花川から簀子川に水を流すために、一夜にして堀を切 ったところから生まれた地名で、今でも堀の跡が志茂字落合と の境に残っている。
(話者 広田寅次 藤田軍次)