長沼町の伝説 -162/224page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

横田舘 《横田》

 横田舘は、大字横田屋敷にあったといわれている。文安年間 須賀川二階堂氏の一門で、横田左エ門尉が舘を築いて、居住し たといわれている。横田、北横田、深渡戸、上小中を領有して 子孫相続いて館主となった。

 天正十七年、伊達政宗が松山に陣を敷いて攻めるに及んで、 衆寡敵せず降ったといわれる。天神様の西に、古い五輪塔が並 んでいるのを、土地の人々は殿様の墓と呼んでいる。その墓の 中にある板碑を「かさつこじん様」と呼んで、若者たちが掃除を していた。かさやくさの病に御利益があるといわれていた。

        (話者 池田藤一・「桙衝村誌考」より)

横田城主の墓
横田城主の墓

横田陣屋 《横田》

 大字横田字北ノ後にある陣屋跡は、元禄十一年、溝口摂津守源直行の所領となり、宝暦二年、溝口四 代の領主、弾正真寛の代に舘を建築して居住した。

 そして、漸次、家臣の住宅も建造されて、天神宮、馬場大杉東より秋葉宮馬場まで一帯の建物は大変


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は長沼町教育委員会に帰属します。
長沼町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。