長沼町の伝説 -164/224page

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泉福寺と木之崎舘 《木之崎》

 木之崎前屋敷に、木之崎舘があって、今も土壘の一部が残っている。

 二階堂簇下、熊田伊豆守善範、木之崎村に館を築いて、木野崎氏を称したという。子孫、築後守善隆、 天正二年、木之崎末子五郎内にあった寺を、村のこの山に移して、宝珠山泉福寺と号した。天正十七年 伊達政宗に攻略され、城を退去したという。

 息女は、一族の家臣とともに、村中にひそみその難 をのがれたという。泉福寺墓地にお姫様の基が今も残 っている。

 慶長元年、長沼菖洞宗永泉寺六世、喜州宗観大和尚 が開基となり、後に横田領主溝口氏の菩提寺となって 繁栄したが、明治二年火災にかかり昔の面影を失った。 境内の大木には、火災の傷跡が今も大きく残っている。

        (「桙衝村村史」より)

木野崎築後守息女の碑
木野崎築後守息女の碑


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