長沼町の伝説 -168/224page

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白河屋駒吉 《長沼》

 嘉永三年の春。桜も散りかけて、山々の新緑が、日毎に色艶をまして来た。

 この昼下り、二階にうたた寝をしていた利吉のもとに、妻の「たよ」が陣屋からの一通の密書を手 渡した。日頃の出入りだから、何の不思議もないが、陣代中山重英からの書状である。便を返した利吉 は衣服を改め、家を出た。

 陣屋は利吉の家からは、あまり遠くなかった。途中、利吉は「はてな」と考えた。自宅にかくまって置 く博徒は中山様も承知のはず。裏木戸から入った利吉を、別室に通した中山は一切を打ちあけた。

 昨日、白河藩からの連絡で博打犯人がこちらに向かったという。犯人は宇都宮の賭場で相手を斬り、 賭場銭をさらって逃げた兇状もちで黒磯からの連絡で は、八溝を越えて、常陸方面か白河に足がのびたとい う。犯人の名は駒吉。利吉は「ぎくり」とした。もしや 三年前に家出した駒ではと思った。駒吉はかぞえて二 十才、利吉の一人息子である。

 長沼陣屋は、親藩水戸府中石岡藩の藩士目録による と、郡奉行久野藤兵衛割元和田紋十郎陣代中山重英、 中山広伴、矢部嘉左エ門、目付小山利吉組頭久保小左

白河屋駒吉の墓
白河屋駒吉の墓


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