長沼町の伝説 -171/224page

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白河屋の駒吉 《長沼》

 幕末の頃、白河屋に駒吉という、年に似ず豪胆で、侠気に富んだ人がいた。喧嘩の仲裁役などをかっ て出て、この地での顔役であった。陣屋でも一目おき、白河屋での賭博は黙許されていたという。

 いつの日か、この駒吉、白河のある賭場に行き、もち前の豪胆さに物いわせ、この金を全部もらって 行くとかき集め、懐に入れ、ゆうゆうと引揚げた。賭場の面々捨て置き難しとその中の屈強の者三之助 とかいうもの、その金を取りもどそうと後をつけて来た。見えかくれして好機をうかがったが、ついに 早坂にさしかかった。ここで駒吉、長沼領地内では事面倒になるのを恐れ、この者を一刀のもとに切り 捨てて来たという、これが三之助坂と名つけられた所以である。

 のちに、白河より駒吉捕縛の追手が、長沼に来たが、一応陣屋を通さねばならぬ定めのため、これら 追手の人々、笠も取らず、陣屋に入り、捕縛を申し出たという。時の陣屋の役人、矢部嘉左ヱ門なる人、こ れを見、たちどころに「ここは水戸中納言の分家松平播磨守の領地である。笠は額につくり付けではある まい。お取り召されい」とその非礼をなじった。取り手の人々、己が無礼を恥じて、そうそうに立ち去っ たという。

 取り手を見た人々、駒吉の難を恐れ、身をかくせと言いすすめたが、駒吉はその成り行きいかんと芳 賀某氏の二階よりながめていたという。


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