長沼町の伝説 -173/224page
機会をうかがっていた。
ある年の村祭りの夜、岡部一族が酒に酔い、寝しずまるの を待って、その館に一斉に火を放ち、一族皆殺しを計り、つ いにその目的をとげた。しかし、火は勢い余って岡部舘に止 まらず、その下手にあった八坦部落を総なめにしてしまった。
いかにうらみ重なる悪徳非情の一族であるとはいえど、自 ら仕掛けた殺りくの罪のおそろしさにたえかねた住民は、以 来、父祖の地を離れ、泉田方面や古戸方面に移り、またある 人は現在の矢田野部落付近に移り住み、部落としての構成は 一時消滅したかたちとなってしまった。
その後、何年あるいは何十年か時が移り過ぎ、やがて須賀 川城主二階堂氏の二男(または三男ともいう)が、部落の中央に館を築き、矢田野安房守を名乗り、矢田 野部落を統治する事になり、現在の矢田野部落が確立したという。
その火攻めの事件以来、岡部の屋敷跡には、罪のおそれから近寄るなとの言い伝えが、やがて近寄れ ば、たたりがあるというように変化し、現在も伝えられている。
(話者 熊田孝悌)