長沼町の伝説 -174/224page

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天王様の仕掛花火 《下木之崎》

 木之崎の天王様の花火、「カラカサあんどん」といえば、近郷近在の名物の一つになっていた。

 祭礼は旧六月十五日だが、宵祭の十四日の晩は近郷近在の若者たちが集まり、櫓が上げられ、踊りが 催されて、大変な賑やかさであった。

 花火の打ち揚げは、村の青年が行い製造もした。それがまた、自慢の一つであった。明治になって、 花火製造は禁じられたが、それでも夏祭に花火を何本も揚げないと、村に悪い病気が入るとの言い伝え により、止める事はしなかった。

 若者たちは火薬を買い集め、石神山の窪地で作業を始めた。臼でついていた若者の吉田久右エ門が火 傷したので、巡査の耳に入り、村の青年三七人が、麻縄でつながれ、須賀川署まで連れて行かれて、一 週間目に白状した。

 若者代表、吉田栄吉、吉田綱五郎、命長直五郎、三名が白河監獄送りとなって、一件落着した。

 その後、花火打揚げの許可が貰えず、夏の風物、村自慢の「カラカサあんどん」も、遂に姿を消してし まった。

 仕掛花火のほか、打揚花火、筒の長さ十尺廻り五尺筒を初めとして、桜の大木を二つ割りにくり抜き、 全部竹の「たが」をはめた大小数本の筒が、最近まで、吉田岩男宅の土蔵の軒下にあった。

        ※ 吉田栄吉(吉田庄一祖父) 吉田綱五郎(吉田一郎祖父)


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