長沼町の伝説 -175/224page

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命長直五郎 (命長一男祖父)

        (話者 吉田庄一・吉田一郎)

勢至堂の大水 《勢至堂》

 明治二十九年は雨の多い年で、入梅後も、大雨が降り続いていた。沢からは泥水が流れ出て、あっち こっちに山崩れが起きた。勢至様の裏山が崩れ、御堂が流されて濁流に呑まれた。この時、扉だけは流 されなかったので、のちに御堂を再建した時、そのまゝ使った。現在の扉がそれである。

 村の南より流れているどうねん沢も大水が出た。沢の奥が、雨のために崩れて水をせき止めていたの が、一時に抜けて、大きな杉の木が流れて来て、私の家の東の渡辺権次郎一家が流された。権次郎爺様 はかろうじて肋かったが、妻の「おふみ」どんは、娘と一緒に濁流に呑まれて、行方不明になった。長沼 近くまで流されて、死体となって見つかったという。この人は会津月形村より嫁に来た人である。

 県から被害状況調査に来た役人に、権次郎爺様は「さっかけさっかけ」とくり返して説明した。県の 役人は、『早駆』で良いのではないか」といった。すると爺は、「そうだ そうだ」といった。被害状況を 早駆で、つまり大至急で報告して呉れとのことだった。

 無学な権次郎爺様なのに、字を知っている役人に字を教えたと、今に語り伝えられている。

        (話者 柏木平蔵)


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