長沼町の伝説 -194/224page

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る時は、赤飯やぼた餅を供えて送るのが例になっている。

        (話者 石井 栄)

桙衝神社の絵馬(繋駒) 《宮本》

 慶安元年、白河城主榊原忠次が桙衝神社の社堂を修覆した。その 時の奉行石井角兵衛吉重、永井平右衛門吉久が奉納した双幅の絵が ある。この神馬は狩野探幽元信が画いたものといわれている。

 奉納当時、毎日のように馬場先の作物(麦)が荒されているので、 どうした事かと村人が調べたところ、毎夜、絵馬の神馬が抜け出し て飛び廻っているではないか。これは大変と絵馬につなぎ杭を書き つないだところ、それからは抜け出さず、農作物は荒されなかった といわれる。

        (「桙衝村誌考」より)

桙衝神社の絵馬
桙衝神社の絵馬

桙衝神社の御龍燈 《宮本》

 桙衝神社の御龍燈は、午後九時より十時頃の間に出て、あるいは午前二、三時頃に出ることもしばし ばあるという。その様子は、亀居山の北側の江花川の附近を提灯より少し小さな火の玉となって次第次 第に昇って、亀居山の松の梢、一メートル位の高さに至って漸次に消え失せる。


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