長沼町の伝説 -198/224page

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 昔、京都より背負って来たといわれている。脇仏は鉈彫の膝立座像で、俗に泣虫地蔵といわれている。 昔から子どもたちがこの地蔵様を堂から出して、ひきずり廻して、遊び親しまれた仏である。

 この地蔵様の厨子の底には、正徳元年の銘があり、味戸、 円名など村の人たちの名前が記されている。

 岩瀬二十四ケ地蔵尊、札所第二番となっていて和歌がある。

    からたせん遠くおもふなたゞ頼め
     阿字ほん体はこゝ北作

今、お堂は屋敷の集会所となっている。

        (「桙衝村誌考」・「長沼町文化財」写真集より)

北作の地蔵様
北作の地蔵様

鼻取地蔵 《木之崎》

 泉福寺人口の石の祠に納められた地蔵様が二体ある。この 地蔵様は、鼻取地蔵と呼ばれ、田の代かきの時、童子の姿と なって鼻取りをしてくれた地蔵様といわれている。

 前屋敷の地蔵様と呼ばれて、ある所から移されたという。 移した時の年号か、奉納した時の年号か、「延享元甲子八月 吉日地蔵菩薩新造 願主 善男善女」とある。

        (話者 橋本ミツ)

木之崎鼻歌地蔵
木之崎鼻歌地蔵


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