長沼町の伝説 -204/224page
で、又の名を高鳥仙人ともいう。仙人が山に隠れて来なくなってから、この樅の大木の下に祠を建てて、 仙人の魂を祀ったのが、天神山の社の始まりといわれる。
土地の豪族森孫兵衛は、この社に北野天神を合祀したので、俗に天神孫兵衛と称された。その後は延 宝年間、壷屋惣兵衛この地に居住して、天神様の社を再建したといわれる。
(「長沼名義考」より)
稗窪の身越人道 《長沼》
向寺の西の窪を、稗窪(冷窪)といって、昔は成田村(岩瀬村梅田)に通ずる道筋であった。稗窪には、 身越人道という、山のような大坊主の妖怪が出るという。雨の降るもの淋しい夜、または春の朧月夜に 必ず出て、昔からこの人道に逢った人は多いといわれる。
ある年、永泉寺二十五世、南恒天海和尚、成田村より帰る薄月夜の宵、稗窪を通りかかった。すると 「天海天海」と呼ぶ声がする。振り返って見れば、身の丈二丈(約五、六メートル)ばかりの大入道が立っ ていた。
顔は般若面のごとく、眼は光り輝き、見るに身の毛もよだつ姿であった。小僧と下僕は驚いて、肝をつ ぶして伏し転んだが、天海和尚少しも驚かず、「汝どこより来て何者なるか、変化の醜き姿を現して、人 を迷わすのが、法力を以て退治してくれん」と呪法を唱えると、二丈余の大入道は消え失せてしまった。