長沼町の伝説 -210/224page

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と下問された。新八郎は恐れながら山国の柏餅にござりますると言上した。秀吉はきげんななめならず、 心ずくしまことに殊勝じゃこの柏餅にちなみ、汝に柏木の姓を与える。以後柏木の姓を名乗るがよかろ う」と新八郎は破格の栄誉を賜ったという。

 その頃、一方江花の宿に屯した蒲生氏郷以下の将兵は、雷神ケ原に江花川の清流をはさんで休止をと った。村人は総出で軍旅の労をねぎらい、柏の葉、朴の葉などに赤飯をもり、さ湯を出して待遇した。

 その当時の模様を史書は「軍馬の騒音山野にこだまして立錐の余地なし」と伝えている。

 やがて一行は、心ずくしの謝礼に何がしかの金子を与えて立ったという。

 さて村人は、この一世一代の盛事を記念するため、太閣祭りと名づけた。そして毎年雷神ケ原に集ま って、赤飯をたき、酒をくんで祝うことにした。以来三百数十年、年移り、世が変ってもこの祭りは続 いている。そして古老は太閤様お通りの際は、ああもこうもと往時の有様を語り伝えている。

 今は陽春四月、村の子どもら若者たちが江花川原の両岸に集って、各々隣組ごとにかまどを築いて飯 を焚いて、山菜、玉子や、味噌など持ちよって、むしろを敷き、村の年寄を招いて、踊りうたい一日を楽 しく過ごす、ままたき祭り(太閤祭り)である。

        (話者 久保初五郎)


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