長沼町の伝説 -212/224page
市神様の由来
桙衝新田屋敷は、その昔、桙衝神社の祭礼に奉納する 新米を作る田があったので、神田といわれたが、いつし か新田と呼ばれるようになった。屋敷の西端にある板碑 を、市神様と呼んでいる。
この石板は、昔、屋敷中央の三叉路の南側にあったも ので、行商人の信仰が厚かったといわれる。
年二回、旧盆十二、三日と暮の二十八、九日の日に市 神様を挟んで、道の南側に大道商人の開店があって市が 開かれた。盆と正月の用品を買うため、近隣の村々から人出があり、相当なにぎわいぶりを見せたとい われる。
※ 祖母よりの口伝による。(話者 円谷 実)
御祈祷餅の話 《矢田野》
矢田野部落に旧歴八月十九日夜から翌二十日夜まで、熊野様を祭るご祈祷餅つきの習慣がある。これ は矢田野部落本戸数約百十戸を四組に分け、各組約二俵のもち米をつくもので、もち米、薪、味噌など