長沼町の伝説 -213/224page

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各戸持ち寄りで、宿は三戸ずつがあたり、毎年、門廻りで役割を定め、釜方、剛力、賄方、世話人など 分担される。

 大臼に一回四升ほどのふかしを入れ、千本杵で剛力役の若者たちが唄をうたいながらにぎやかにつき あげる。

 『揃ったよこの餅つきは稲の出穂よりよく揃った ハアーヨイヨイヨイ』

 『庭で餅ついて座敷に投げた、婿と嫁が一ねばり』

 こうして餅つきは一日中続く。若者たちはつき上げるたびに餅を食べ、一日一升から一升五合ほどの 餅を食べる。

 夜は役付の人たちの慰労のため宴会が開かれて、いろいろの演芸などにぎやかにくりひろげられる。

 こうした部落の年中行事も、戦時中の食糧困難期を境に、中止となってしまった。いまは当時をしの ぶ千本杵と臼だけが残っているのみである。

        (話者 小林要作)

豆まつり 《堀込》

 その昔、八幡太郎義家が戦に敗れて逃げる途中、堀込地内にさしかかった。

 時は六月頃であった。畔道伝いに逃げる義家は、畔にまいてある豆に足をとられ難儀していた。それ


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