長沼町の伝説 -214/224page
を見ていた堀込部落の百姓たちは、「くろには豆をまかねべえ」ということになり、どこの家でも畔道に は豆をまかなくなったという。
戦時中、食糧増産のために、畔に豆をつくりたいと考え、神主にお払いを願い、それから畔に豆をつ くるようになったのである。
今でも「豆まつり」と称して、四月の堰上げの日、部落中が休んで、部落内にある香取神社に総代が一 升の豆をそなえ、神主にお払いをうける神事を行なっている。
(話者 広田広美)
木之崎のだんご祭り 《上木之崎》
旧歴の二月十八日、木之崎の泉福寺の西側にある雷神様(宝歴年間、森田七エ門災害厄除村内安全の 為建立と伝えられる)に、上木之崎地区の子どもたちが、重箱に団子を入れて持ち寄り、お互いに交換し あって食べる。
昔より、他所に嫁いた人たちも、この団子祭りには里帰りし、花火を上げてにぎわったという。今で も団子まつりの団子を食べると雷よけになると伝えられ、地区の子どもたちはこの祭りをたのしみにし ている。
(「長沼町民俗調査書」より)