わたしたちの町 ながぬま - 031/075page
(3) 交通のうつりかわり
今から100年ほど前は、すか川市やしらかわ市からあいづわかまつ市の方に行く時は、ほとんどの人が長沼町を通って行きました。この道は、「あいづかい道」とよばれ、たくさんの人が行き来しました。さどに金が見つかった時は、金もはこばれ、大変にぎわっていました。 あいづかい道(100年前)このころは、にもつをはこぶ時は、たいていに馬車」を使っていました。ですから、今の金町通りのまん中に、「に馬車」をひく馬に水をのませるための「水ろ」がつくられてありました。たくさんの人が、この「水ろ」で馬に水をのませ、また遠くの町ににもつをはこんでいったのです。写真は、80年前に金町の通りをうつしたものですが、「水ろ」をうめたあとがまだ道のまん中にのこっているのがわかります。