わたしたちの町 ながぬま - 034/075page
○お店や工場のしごと
長沼やきの生さんのへん化
時 作っている
家の数(けん) しょく人の
数(人) 90年前 14 43 80年前 9 71 75年前 9 75 70年前 8 21 65年前 7 18 60年前 2 6 55年前 1 3長沼やき(80年前) 100年い上前、今の長沼小学校のうらの日高見山に「長沼じょう」(29ページの地図)がたっていました。また、このあたりをまとめる大きなやくしょ(じんや)があったり、町の中をあいづわかまつにむかう大切などうろが通っていたりしました。そのため、今の金町や、とよ町あたりは、たくさんのしょく人がすみ、店がならんでいました。
町の仕事でとくにゆう名なのが「長沼やき」でした。一番多い時は9けんの家で75人ものしょく人が、さらや茶わんやつぼなどをやいていました。
そこで作られたものは、大へんしなものがよいため、近くの町や村だけでなく、遠くの町や村へも送られました。「長沼やき」は、100年前は町のじゅうようなしごとでした。ほかにも、き物などをそめる「そめや」、はものを作る「かじや」、き物をうる「ごふくや」、「酒や」「みそや」「げたや」などたくさんの店がありました。
これらの店には長沼町の人だけでなく、近くの町や村からも買い物に来る人がたくさんいました。