わたしたちの町 ながぬま - 033/075page
(4) しごとのうつりかわり
○のうかのしごと
今から50年ほど前、長沼町の人びとは、田うえのころになるといつも田に引く水が足りず、そのためにあらそい(水あらそい)がたえませんでした。そこで、そのころの長沼町とほこつき村といな田村で、大きなため池を作り、そこにたまった水を田に引こうと考えました。そうしてできたのが、ふじ沼です。
そのころは、きかいがなかったため、土をほったり、土を運んだりするしごとも、みな人の手でやりました。ふじ沼がかんせいするまで、12年の年月と、そのころのお金で1,373万円のお金がかかりました。ふじ沼ができたおかげで、人びとは水の心ぱいをせずにお米を作ることができるようになりました。
きかいがなかったため「ゆい」を組みたくさんの人の手で田うえをしました。(30年前) きかいがなかったため牛や馬の「はなどり」をして田をたがやしました。(30年前)