わたしたちの町 鏡石 - 111/125page

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あきら君
昔の人は、どんな苦労をしたのかな。

トラタターなどの機械はなかったから、たいへんだったでしょうね。

開こん当時の家
開こん当時の家

 今のように機械はなく、唐(とう)ぐわをふるって人の力だけで根気よく開こんを続けました。大きな松の根をほりおこすのも、たいへんな苦労でした。ほりおこした根はたき木にしました。

生活のようす

 あわ・ひえ・大豆・そばなどを作りましたが、肥料がないのでまいた種の量ほどもとれないこともありました。食べ物は配給で、人々は、空腹(くうふく)と栄養失調(えいようしっちょう)で苦労しました。
 住む家は、丸太でたて、まわりをささ竹でかこい、屋根は、ささ・かや・すぎ皮などでふいたそまつな小屋でした。

あわ
あわ
ひえ
ひえ

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