わたしたちの町 鏡石 - 114/125page
しかし、県では、あまりにも大きな計画であり、たくさんのお金がかかる工事なので、取り上げてはくれませんでした。
羽鳥用水の計画
1941年(昭和16年)になり、ようやく国は矢吹が原を開く大がかりな工事にのりだしました。この計画は、吉右衛門が県に願い出てから56年の長い間かかって実現されることになりました。
人々は、計画が実現するまで56年もまっていたんだね。
羽鳥から鏡石までは何qぐらいあるのかしら。 工事の苦労
1941年(昭和16年)羽鳥用水の工事は、まず、羽鳥地区にダムを作る工事から始められました。ここには、47けんの家があり、300人の人が住んでいました。ダムのために家がしずんでしまうので、多くの人が反対しました