矢吹ヶ原(やぶきがはら)は平らな土地ですが,川よりも高く台地になっているところでした。人々はため池をつくって少しずつ台地を切りひらいていました。 |
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矢吹ヶ原全体に水が引ければ,人々は安心して田畑のしごとができるのに。 |
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湖をつくる考え
星吉右衛門
「矢吹ヶ原に水を引こうとはじめに考えたのは,矢吹の星吉右衛門(ほしきちうえもん)という人でした。」
先生が写真を見せてくださいました。
吉右衛門(きちうえもん)は,阿賀野(あがの)川を通って日本海にそそぐ鶴沼(つるぬま)川をせき止めて,大きなため池をつくり,トンネルで隈戸(くまど)川へ流せば,矢吹ヶ原に水を引けると考えたのです。実(じつ)さいにできるか,自分のお金を使って仲間(なかま)としらべて,県にねがい出ました。しかし,県の許(ゆる)しは出ませんでした。1885年(明治18年)のことでした。
それでも,人々は水を引こうとする考えをあきらめずに,何度もおねがいしていました。
開(かい)たくのくろう−1931年(昭和6年)
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はじめは道路づくりや松の根っこほりでした。木の根ほりはたいへんでした。トラクターもなく,とうぐわだけでほらなければなりませんでした 「矢吹町史」より |
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