平成15年度 いわせ 社会科副読本 - 054/062page

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矢吹ヶ原(やぶきがはら)は平らな土地ですが,川よりも高く台地になっているところでした。人々はため池をつくって少しずつ台地を切りひらいていました。   先生
女の子  
矢吹ヶ原全体に水が引ければ,人々は安心して田畑のしごとができるのに。

湖をつくる考え

星吉右衛門
星吉右衛門

「矢吹ヶ原に水を引こうとはじめに考えたのは,矢吹の星吉右衛門(ほしきちうえもん)という人でした。」
 先生が写真を見せてくださいました。
 吉右衛門(きちうえもん)は,阿賀野(あがの)川を通って日本海にそそぐ鶴沼(つるぬま)川をせき止めて,大きなため池をつくり,トンネルで隈戸(くまど)川へ流せば,矢吹ヶ原に水を引けると考えたのです。実(じつ)さいにできるか,自分のお金を使って仲間(なかま)としらべて,県にねがい出ました。しかし,県の許(ゆる)しは出ませんでした。1885年(明治18年)のことでした。
 それでも,人々は水を引こうとする考えをあきらめずに,何度もおねがいしていました。

開(かい)たくのくろう−1931年(昭和6年)
 はじめは道路づくりや松の根っこほりでした。木の根ほりはたいへんでした。トラクターもなく,とうぐわだけでほらなければなりませんでした 「矢吹町史」より

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