ふるさと昔話 - 002/056page
気温は真冬のように下がり、全軍ガタガタとふるえだし士気は益々沈滞していった。
五つ半の頃になっても雨は止みそうもなく寒気はますますつのるばかりである。義家は全軍の士気をこぶするために、さく庭にあった七つの大石を軽る軽ると抱き上げつぎつぎと麓めがけてなげ飛ばした。
なみいる部将、雑兵共は義家の強カにキモをつぶさんばかりに驚きながらも兵士達の士気は幾分なりとも上ったかのごとく見えたが、半刻もたたない中に義家を始め七人の部将はつぎつぎに発熱し、ふるえがきて立ってもいられないようになってしまった。総大将を始め、側近の部将七人までが、ふるえ病にかかったと言うことになったからたまらない雑兵共は「山神様のたたりだ」とおそれおののき全軍の士気は集しゅうもつかない状態に陥いってしまった。義家は止むを得ず、額取山を放棄し、ひとまず新田のさくに山を下ることを命じた。
真暗闇の山道や道なき尾根や、さわを我さきにと先を争って下山する。
士気の沈滞した兵士は弱虫だ。野猿の夜さけび、夜鳥の鳴き声、木の葉のそよぎにも心をおののかすのであった。
熊の巣峡を下った一隊は糧まつ輸送隊でいづれも武芸には自信のない者ばかりだったからたまらない。この憶病心理が顕著に現われてきた。重い荷を背負い川のようなさわをころびながら下って行った。
峡の途中で、真暗闇の両側から突然けたたましいドラの音に交って数百本の矢が雨のように飛んできたからたまらない。敵襲だ、敵襲だ、そら逃げろと先を争い前の者を押したおし乗り越え、歩み越えた。翌朝、この峡には数百の雑兵共が糧まつとおり重って死んでいた。そこかしこに真白な塩が朝の光にキラキラ輝いていた。
後世、この峡を塩つけ峡と呼んだ。又他の一隊は賊軍に後退したことを覚られないようにと、わらじを逆さまにはいて山を下った組もあった。
第三話 牛仏のたたり
梅の木の本陣に入った義家の熱は一向にさがらなかったが他の七人の部将の熱はケロリとうそのようにさがったのには驚いた。
義家のふるえと熱をとるためにありとあらゆる手当を施したがどうしても治らない。
上寺山の修験者に祈してもらったところ、これは牛神様のたたりだとのことである。「これを治すのには、八幡太郎義家が額取山頂上から麓になげとばした七つの石を用い地上に北斗七星をうつしこれによってけをたてよ」とのことであったので梅の木の滑川のほとりの原に北斗七星の形に七つの石をならべ修験者はおもおもしく易をたてたところ「義家の病を治すのには熊野神社に祈願をこめ石仏を厚く祠れよ」とのけが出たのであった。
早速、牛の石仏を厚く供養し、修験者は熊野神社に参籠し秘法を修すことになったのである。
七人の部将達も義家のために自分達の愛馬を熊野神社の神馬として奉納した。