ふるさと昔話 - 003/056page

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  第四話 七 色 清 水


 七匹の俊馬の入った馬小屋が熊野神社の前のほとりに建てられ七本の色とりどりの旗差物が小屋の前に立てられました。
 七本の旗差物は七人の部将の身替りとして神社に馬と共に奉納されたのである。
 神社に参拝する村人達の目には池にうつる七本の旗差物が美しくうつったことであろう。
 その后、この池を七色清水又は七色舟と里人達は呼ぶようになった。

 


  第五話 熊野神社の神泉


 修験者の僧は三日三晩秘法を行ったところ「神社の、うしとらの方向に神泉あり、この水を阿か水とせよ」との御神託があった。
 この清水が現在、東京毛糸福島メリヤスエ場の後にある清水であり後世人々はこれを八幡清水とよんでいる。
 義家はこの神泉で祈した阿か水にて薬をせんじ飲んだところ病は漸く快方に向い三日目の朝には朝がゆを「おいしい」「おいしい」と食べたので側近の者達は胸をなでおろして喜んだ。

 


  第六話 神馬空を飛ぶ


 修験者が熊野神社に参籠し秘法を日夜行じている七日間の中に七人の部将が自分達の身替りに献上した愛馬が毎夜一匹ずつ番人の目をかすめ馬小屋を飛び出し何処へともなく逃げ去るが翌朝には必ず、神社境内に全身汗びっしょりになって帰ってきていると言う不思議なことが続いた。

 ある夜、村人の一人が真白な衣冠束帯の高貴なお姿の方が羽根の生えた俊馬に乗って南の方ヘ空を飛んで行くのを見たと言いました。
 これを聞いた熊野神社の神主はこう言いました。
 「それは熊野神社の御神体が八幡太郎義家公の御病気をなおすために紀伊の国の熊野の本宮に七夜の日参をなされたのであろう」
と。

 病をいえた義家は、熊野神社の御神撰を年々奉納するむらとして日向部落五戸を定めその部落の首長に熊田の姓を賜ったという。
 又上寺山修験者の僧に上寺山の私田して上守屋部落が与えられた。
神馬空を飛ぶ


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