ふるさと昔話 - 013/056page
「おめえどっから来た」と聞かっちゃんで「日本から来たんだが、お天道様へはまっと遠いのか」と聞いだら「おめえここをどごだと思う。ここは宵の明星だぞ、ここまで来んのに何百日かがったが知んにえが、こっから先を考えで見ろ。何百日も漕いで夜中の明星、そっから何百日も漕いで明けの明星、その次がお天道様だが途中に食い物はねい、残りどのくらいあっか」といわれて調べっと半分しか残っていねい。
「悪いことは言わねい、とてもお天道様までは行げねいがら戻ったらどうだ」といわれ、あきらめて戻ったという話です。
田舎八幡
むかし、関場に茂助という若者がいた。幼い頃より弓が好きで名人といわれていた。或るとき、庄屋にきた代官所のさむらいがそれをきいて、是非みたいと庄屋に話した。早速庄屋に呼ばれた茂助は弓を射ることになった。庄屋の庭には弓の的場がつくられた茂助は、めどあき銭を五間先に的とした。
「おさむれさん銭のめどに命中させかんない」といって、弓に矢をつがい満月のようにカをこめて放った。茂助の云ったとおり矢はめどあき銭の真中に命中した。それを見たさむらいは「たいしたもんだ」とほめたそうだ。が、茂助はおさむらいに向って、「こんなもんでねい。こんなこってたまげねいでくんろえ。おれが足もとにしるしをつけてくんちぇ」といった。さむらいは、足もとにしるしをつけてどうするのかと尋ねたら、茂助は真暗らな夜でも足あとが同じなら命中させるといったので、さむらいはなおたまげた。夜がきた。茂助は昼間足あとにしるしをつけたところに立って弓矢を射た。さむらいは真暗な夜に「まさか」と思いながら、灯りで的をみたら、矢はめどの真中に命中したので、さむらいはまたまた、たまげたそうだ。
そのあと村人から茂助は「田舎八幡」と呼ばれたという。
ませ木をかけられた神馬
梅田部落に高村山竹林寺観音堂があって、木像の神馬ニ頭が奉納されている。白い馬は雨年に晴天になるように観音さまにお使いにゆき、黒い馬は日照りの年に雨乞いにお使いにゆくとのことだった。或る年春早い頃、八幡岳の峯に残雪が見え、畑の麦も青々と伸びてきた。
或る日の朝だった。部落の百姓、武兵衛が息を切らして家に帰る途中、喜助に出逢った。
「喜助どん おらげの麦馬に喰わっちゃで」といったら、
「馬が麦を喰った。おかしでねいか、むらの馬は外には出ねいぞ」と喜助は言った。