ふるさと昔話 - 036/056page

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  お尻目小僧


 下柱田の跡見塚から畑田に通ずる道路は細い山道で、一帯は主として松林であった。
 小雨の降る夕刻、この道を通ると見なれない男の子が破れがさをさし、長すそのまま、はだしで畑田に向うのに出逢うことがあった。
 今頃どこに行くのか不審に思いふり返ると長命寺付近で失せてしまう。
 どうも不気味な感じがしたが誰もそのことを口にしなかった。

 ある夕刻、例の子供に出逢った者が長すその着物がよごれるので声をかけ、すそをまくってやって(この地方では尻をたくるという)失神するほど驚いた。
 それもその筈、お尻に目玉そっくりのものが十もあるのである。
 子供は無言のまま歩き出した。一つ目とか三つ目小僧という話はあるが、一体何小僧というのか恐ろしくてだまっておれなかった。
 話が広がると出逢った者がたくさんいる。
 それにいつもお寺の付近で消え失せるのを見るとこの世の人ではなく、何かの因縁で成仏できずさまらう子供の霊であろうとの意見だった。

 成仏させるには供養するより途がない。
 お尻の目玉を見た一人が地蔵尊の建立を話し出すと、みんなが賛成して、六地蔵の建立となった。
 小道の傍らにずらりと並んだ石地蔵は、子供達には薄気味悪い観があったが、それ以来子供の出現はぴたりと止んだ。

 百幾十年の時は流れ、大東亜戦争は思いがけない敗戦で幕を閉じた。厳しい食糧事情のもと、安積疏水のサイホン工事や開田事業が行なわれ、石地蔵は無惨に葬り去られて跡形もない。
 神も仏も何のご利益もなかったという憂さ晴らしが先走って、一人として阻止する者がなかったのである。

 子供の時分、須賀川から柱田まで徒歩で牛乳を運んだ人があった。
 学校から帰宅後、中屋まで取りにやられたが、いやでも通らねばならない道である。
 地蔵様にさしかかるといつもぞーっとしたとは古川文雄さんの思い出話である。


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