ふるさと昔話 - 040/056page
奥州のつなぎ杉
大字矢沢、白山寺境内、参道入り口の左側、村道に面したところに「つなぎ杉」といわれる杉がある。三本は目通り一・五メートルほど、右手に少し離れて、松に抱かれたように生えている一本は、こじれて、五十年この方伸びも太りも目立たないそうである。これが「奥州のつなぎ杉」として珍らしがられたものであるが、今は地元でも話題になっていない。このままでは遠からず忘れ去られるおそれがあるので、この際取り上げることにした。枝に長し這っている木の根からおよそ一メートル余りの間隔に、昔は九本の杉が並んでいたのであるが、大正の時代お寺は無住で本堂を修理するにも寄付金集めが容易でなく、手取り早い方法として杉を売って資金の一部にあてた。
今考えるとまことに残念であるが、それでも大きな三本は完全につながっており、西側に太い枝根が延びていた形跡があって、昔のおもかげを知ることができる。伐採当時のいきさつを聞くと、残された四本(内一本はこじれ)は少し小さくてお金にならないので助かったそうである。
ここから道路一本はさんで清水があり、この清水には白蛇が住むと伝えられて来たが、杉を伐採し皮を向いて積んでおいた(以前は杉皮は屋根材料に使った)ところに白蛇がもぐり込んでいた。それを馬車ひきが見つけて動物園にでも売ってひともうけしようと持ち出したが、その後、馬がケガをして死亡、間もなく自分も死んだとか。村の馬車ひきはいやがって手を出さないので、よその業者だったという。また、白蛇は売られ先から逃げ戻って元の清水に住んでいるとか。伝説めいた話もあるが、姿を見たという者はいない。
この清水は現在本田家の所有で、以前お寺でも貰い水をしたこともあるが、何が凶事が起る前には水がにごるといわれており、神聖な清水として洗いものには使わないそうである。
お犬さん
畑田、牡丹原地区は今でこそ深渡戸からの通学路が舗装され、三十軒近い立派な住居が建ち並び、陽当りが最高で、集落中でも上の部にのし上がったが、昔は人家もなくやっと通れるような小道で狐も出たであろうし、夜の一人歩きは薄気味悪かったに違いない。
黒須さんの住宅の向い、通学道路の南側、笹山方面の田んぼに通じる道の東側に田んぼがある。
その田んぼの東端、道路に沿った場所は東に向って急傾斜、そこに大きな松が三本あり、根元のうつろに野良犬が三匹仲よくここをねぐらにしていた。明治中期のころである。その犬どもは、野良犬に似ずいずれも利巧で、日の中はどこかを歩き回っているが、夜になるとねぐらに帰り、矢沢と北横田を往復する人達を家まで送ることを怠らなかった。おだちんに握り飯をもらうと喜んで食い、わがねぐらに帰る。